2015/11/30 子供たちの目で見た体育館の風景 バドミントンと学年

練習中、いつも怒られる子。怒られればその場では、修正できるので、自分がやるべき事はわかっている。ついつい他の事を優先してしまう。遊んでしまう。スポーツは本来楽しいものであるわけですから、楽しさを求める事には何も問題は無い。しかし、その子が怒られる事で、怒る方も他の子も嫌な気分になる。自分の楽しさを優先してしまい他人の楽しさを奪ってしまっている。

5,6年生にもなるとさすがに、ふざけていて怒られる事はほとんどなくなるので、成長を待つしかないのかなとも思うが、4年生以下と上級生では何が違うのか?そこを練習をみながら考えていた。そんな中で、上級生とその他の違いについて3つ程気が付いた。1つ目は、周りの目に対する意識。2つ目は、待ち時間の大小。3つ目は、年齢による理解力の差。

上級生は、周りが自分を見ていることがわかっているため、自分の行動に対しての客観的な意識が自然と身についている。良い行いは何か?これがわかっていると言った方が良い。悪い行いが何なのか?これは上級生でも個人差がまだまだある。今、何をすれば良いのか?がはっきりしているので、それに向けて行動をとる。下級生はというと、「それが良い行いなのか?」これすら考えていない子が多い。周りの目を意識できる。これが上級生。周りは見ていないと思うのが下級生。これが一つ目。

次に、上級生は下級生を指導する事も多いため、下級生から見られている意識が自然と身についている。頼られれば頼られるほど、自分を律することが出来るようになってくる。練習も自分たちのペースで行える。一方で、下の学年になればなるほど、自分一人では出来ない事が多くなり、誰かの助けが無いとやらない。やりたくてもやろうとしない事が多い。上級生からの指示待ち、順番待ちの状態。こんなときに、魔がさしてしまう。ふざけたり、遊んだりと。待てるのが上級生。待てないのが下級生。時間軸が自分にあるか、他人にあるのか?これが二つ目。

最後は、これまでの二つの土台ともなるのですが、人の話を理解できるかどうか?これが一番の違いであるように思う。下級生になればなるほど、行間は読めない。まだまだ脳が未発達なわけです。周りが何を意図して指示を出しているのか?過去の話とのつながりは何か?結果、今回の指示はどういう意味なのか?この能力が低いのですから、理解という理解は出来ない。含みを持たせて発言しても表面だけしかとらえられない。わかってやっている事が多いのが上級生。なんとなくやっている事が多いのが下級生。理解力の差によって、取組への意識も変わってしまうんですね。

ずっと同じ体育館で同じように練習をしていても、学年が違うだけで、子供たち自身の目で見えている体育館の様子は、相当異なるんだろうなと改めて感じました。子供たちを外から見て指導する事が多い中でも、じっくり子供たちの成長段階にあわせた彼ら彼女らの見えている世界での指導も大切なんでしょう。「悪い行い」ばかりではく「良い行い」とは何かまで示してあげないと、下級生は自力で何もしない事が多いですからね。誉めると叱るはバランス良く。

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