2016/01/12 どなり散らすコーチでも成長するのか? バドミントンの刺激

この連休もバドミントン三昧でした。個人的には1月12日のうち6日体育館に居た事にもなる。なかなかメモを書く暇もありませんでした。ジュニアでは、新しい年になり練習内容が次のステップへと進み新しい試みも始まりました。好奇心が旺盛な子供たちも何やらうれしそうです。刺激があると子供たちはがんばりますからね。

そんな中で、ふと感じた事なのですが、刺激とストレスの違いです。いや、違いというのは捉え方の違いだけなのかなと思ったのです。刺激と表現すればポジティブにになるし、ストレスと表現すればネガティブになる。たったそれだけなのかなと。脳は良いも悪いも判断しませんので、それをどうとらえるかだけの話なんだなと思ったのです。

保護者どうしの会話の中でも、それをストレスと表現する人もいれば、刺激と表現する人もいる。もちろん子供たちも同じ。怒鳴られるとそれはストレスとなり、声を抑えて言えば刺激となる。言っている事は同じ。言い方、捉え方の違いだけ。

何かと子供を守りたがる世の中ですが、人として、動物として、生物としての自然の摂理を破っていないか?ここは大人がしっかり考えておきたいです。適度な刺激、適度なストレス環境の方が確実に成果があがることが我々人間の研究の中でも、科学的に実証されているものです。

ストレスと表現されるとネガティブなイメージが付きまといますが、ストレスが無いと肉体も精神も成長しません。壊して再生する。これが生物の成長の基本だからです。刺激でもストレスでも与えなくては成長しないのです。与えた上で、再生可能な時間を与えることが大切なだけであって、不要なものではないのです。

過度にストレスを与えるとそれだけ再生に時間がかかります。極端な場合、トラウマとなり何十年もその再生に時間がかかることもあります。しかし、1時間で再生可能なストレスもあるわけです。たとえ大声でこっぴどく怒鳴られても、それが短時間で再生可能な単純なストレスであれば、それは成長を助けることにもなります。

大きな声でどなり散らされた一言よりも、ふとしたささやき程度の一言の方が、再生に時間がかかる場合もあります。また、言葉をかけてもらえない方が時間が止まったままとなりつらいこともあります。表現方法よりもその内容がどんな質のものなのか?ここに目を向け、再生に時間がかかる質のもであれば、子供を守り、再生に時間がかからない質のものであれば、ぐっとがまんし子供の成長を見守る。こんな風にしていきたいものです。

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