うちの6年生の息子の中学受験が終わった。母親の望む学校には受からなかったが、本人の第一志望には合格し、ひとまず落ち着いた形です。中学受験でTOPを目指すとなるとアホみたいに勉強をします。
受験しない子が遊んだりクラブ活動で汗を流し、喜怒哀楽をその場で表現しながら生活するなかで、一種独特の世界で受験組は戦っていました。2か月前から緊張が徐々に強まり、残り1週間となると焦りだす。そして試験前日には精神状態はピリピリモード。試験を受けて発表までは心が落ち着かない。
しかも、子供にとってはそれが初めての経験。どれだけ努力をすれば良いのか?どんな努力をすれば良いのか?それもよくわからないまま、目の前の問いと戦う日々。ほんとうに大変だなと思います。
スポーツでも同じですが、課題には答えがあるが、自身のやり方には答えがない。目標地点に達するための道はいろんな道がある。どんな道があり、どれをどう選択するのか?最短時間で行きたいのか?最短距離で行きたいのか?体力的にもっとも楽な道で行きたいのか?
すべてが行き当たりばったり。先生や講師がアドバイスをくれたとしても俯瞰のできていない彼らには背景の部分の理解は難しい。ゆっくり俯瞰している時間さえ与えられないから。
勉強でもスポーツでも仕事でも、量だ質だと議論されるが、実際には、量だけの勝負。質は後付けにすぎない。量をこなしていない人には質を理解する事はできない。質だ質だという人は、量をこなせない人の言い訳であることの方が多い。中途半端に頭が良い子供は大人のやり方を真似て質を求めていると言い訳をしたりもする。
質を高めるには、繊細な目と関連力が必要。10個のリンゴがあっても、品種や形、色、熟し具合などひとつひとつが違うリンゴだと理解できるかどうか。10個のリンゴをみて、品種や形、色、熟し具合など同じ部分を発見できるかどうか。俯瞰と洞察の両方が必要。時間と経験がないとできやしない。先に量ありきなのです。
「逃げるな。」私が息子に言い続けてきた言葉です。もっと楽にと逃げたくなる気持ちはわかるが、小学生で質は身につくわけがない。ひたすら量をこなすしかない。一流になるには他人の4倍。超一流になるには他人の7倍やればよい。それだけだよと。
「過去問何回解いたの?」「4回」受験日の1週間前に確認したら息子は4倍程度しかできていなかった。結果、7倍やった人たちに追いつくことはできなかった。単純に量が結果に反映される。これが天才を除くその他九割九分の子供の成績です。つまりは、うぬぼれずやるだけ。バドミントンでも勉強でも。