2016/03/08 自分を出せた子が優等生 バドミントンとイベント

先週末はバタバタの連続でした。友人の不幸や息子のインフル、そしてジュニアの卒業会と・・・。卒業会の準備がしっかりできないまま会を迎え、出し物を練習してきた5年生には申し訳なかったなと思います。全部を出し切れませんでした。

私が参加できなくなった前日の打合せの際に、一部の発表を取りやめることになったそうで、やれる!やるぞ!やった!の最後のやった!を与えてあげられなかったのが本当に悔しいです。私としては、うまくできなくても良いのでやって欲しかったのですが、卒業会という場を考えて保護者の方がストップをかけたようです。ホッとした子供たちもいた事も確かですが・・・それで良いのかと。。

もちろん今回のこの大人たちの判断が良いとか悪いとかを言っているのではありません。卒業会は無事終わり、卒業生は楽しんでくれましたので、結果としては成功なわけです。私が言いたいのは、保護者がどこで線引きをするのか?です。

大人になると体裁に重きを置きがちです。失敗はさせたくないと誰しも思うでしょう。ダメな代だと言われたくもないのでしょう。でもそれは親がそう言われたくないだけであって、子供たちはそんな事まで考えていません。やりたい、やりたいが彼ら彼女らなのですから。

今回のイベントは、バドミントンの試合とは違います。結果が点数で現れるものでもありません。結局は、「思い出」という絵が残るかどうかだと思うのです。普通すぎては印象に残らない。だったら思いっきり失敗するくらいの方が絵に残りやすいのです。馬鹿や鬼になった方が良いのです。実際、うちのコーチはそれを毎年やってくれています。全部を出し切って卒業生に強烈な絵を残してくれています。こういった思いを全体にも広げたいのです。

6年生の入場の際には、だれかこけてね。といっておいたら彼らはそれを見事実行してくれました。6年生には失敗を失敗だと思わない空気がありますので、出し物の中でもコーチの事をガンガン攻めて大笑いをとっていました。

5年生にはこういった部分、やって怒られるくらいの度胸が欲しいなと思いました。保護者も含めてです。顔色をうかがって優等生になっても面白くありません。優等生はバドミントンだけで十分です。子供らしい一面を出してもらえる学年になって欲しいなと思います。恥ずかしがりながらも、おどおどしながらも、それでも自分を出せた子が優等生だよと。

今回出せなかった出し物は来年度のイベントの際に、必ず披露させます。彼らの彼らなりの努力を保護者が蓋してしまわないようにする空気を作っていきたいなと思います。

それにしても卒業会は毎年ですがほんと楽しすぎます。来年は彼ら5年生が卒業生。保護者も含め成長が楽しみです。

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