2016/06/20 パートナーの存在意義 バドミントンのダブルス

ジュニアのダブルスの頭の中を覗いて感じた「自分勝手」の部分をどう意識改革させていけば良いのか少し考えたのでメモしておきます。フォーメーションやローテーションなどの前に、この部分にメスをいれておかないと、誰とでも組める子にはなれないのかなと思います。シングルスオンリーでももちろん良いのですが、人間性の向上まで考えるとどの子にも伝えておきたいことかなと感じます。

まずなぜ自分勝手なのか?についてですが、おそらくジュニアの子の多くがダブルスであろうがシングルスであろうが、単純に点を取る事が最優先となり、どう点を取るか?どうすれば楽に点が取れるか?このあたりが頭に無いために、目先のシャトルに飛びついてしまうのかなと思います。

つまり、ダブルスパートナーの存在意義がすっぽり抜けてしまっているのです。二人で点を取る。二人で守るといった「型」を作っていればダブルスだと思ってしまっているように思うのです。なので心の無い言葉をパートナーに投げてしまったり、自分勝手な振る舞いをしてしまったりと、パートナーを人ではなく道具としてしか意義を感じていないような事が起こるのです。

ダブルスでのパートナーの存在意義を子供たちにどう伝えるとわかりやすいのか?ですが、シングルスを両手で打てたらどうなる?が簡単かなと思います。右手でスマッシュをして、返ってきたクロスを左手でさらに追い込む。右側は右手で守り、左側は左手で守る。こんなイメージです。どちらの手も普通に打てると考えてもらえれば、シングルスの相手にとってこれがどれほど脅威になるかは想像しやすいかと思います。

ダブルスのパートナーの存在意義は、この両手利きになれることです。しかも目は4つあり、脳みそは二つの、超人的な頭部をもったプレーヤーになれることです。逆に、存在意義を無視してしまうと、右手が左手の邪魔をしたりと足を引っ張ってしまいます。二人で攻めるという事以上に、二人で一人という感覚をもち、ここは右手で次は左手だ。右の調子が悪いから左中心でいく。などカバーしあう意識がようやく芽生えるのです。

単純に二人でやるだけでは、この域には達することは出来ません。4つの目を持って、相手と味方を洞察し、そこで立てられた予測を二つの脳で共有する。「どんまい」「ナイッショ」と声を掛け合っていれば良いのではなく、お互いの感じたことをしっかり共有する。ここが大切です。ミスが増えてきたら「どんまい」で終わらせずに、今の展開だと厳しいのか?どこが二人の思いで食い違ったのか?と確認作業が必要です。長く組んでいれば自然とわかると言っても、ジュニアの子達には時間がありません。

その場、その場で、頭を一つにする。そして勝っても負けても、同じ一つの脳をベースに反省と改善を行う。二人の頭が共有出来ていないのに、反省も改善もありえないのです。まずは、パートナーの存在意義をしっかり共有し、右手の改善ポイント、左手の改善ポイントとこんな感じで、一人のプレーヤーとしてダブルスを改善していくのです。

いずれにせよ「我がまま」は、ダブルスには不向きです。人間性の問題を抱えたまま大人になり、パートナーがころころ変わり、そしていつの日か誰も組みたくないと思われてしまいます。誰とでも組める人間になる心の鍛錬が結果的にダブルス能力を高めてくれます。

心技体でも心は軸となります。右手のミスは左手のミス。左手のミスは右手のミス。右手の得点は左手の得点。左手の得点は右手の得点。同じ体だと考えれば当たり前の事です。ジュニアの子供たちはどんな風にパートナーの存在意義を思っているのかそこから確かめる事が最初の一歩かと思います。

パートナーの存在意義に正確な答えは無いのかもしれません。それでも勝手気ままの無秩序では、ジャイアンは暴走し、スネ夫は影口をはじめ、のび太は「や~めた」となってしまいます。パートナーの存在意義を伝え、軸を共有しておくことがフォーメーションやローテーション以上にまずは大切かと思います。

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