2016/10/17 怒りはどこから来るのか? バドミントンとコーチング

最近、ジュニアだけでなく家庭でも「怒る」について考えさせられる事が多くあります。我が家の中学生が反抗期真っ只中にあり、母親といつもケンカをしています。私もそんな状況が続くとついつい怒りを覚えてしまっています。ジュニアの方でも怒りすぎたとコーチが後悔し、自分のありかたについて悩んでいる姿があります。

コーチングの本などにも「怒る」ことについてはNGとされています。怒るのではなく、叱りなさい。相手を鼓舞しなさいと。お釈迦様などは「怒りは100%不要なもの」としていたりもします。わざわざ不要と言わなくてはいけないのですから、それが難しいことの裏返しでもあるのかなと感じます。

確かに子供たちは怒られると「怒られないように」振る舞います。本来の意図とはずれて、表面的な取り繕いを覚えてしまいます。自分の心に嘘をついての行動であることも多いため、どこかで歪みが生まれてしまう事も多いと言われています。バドミントンだけでなく勉強面でもなんでもそうなのですが、この歪みは成長に必要な「素直であること」を出来なくしてしまいます。

私はよく「怒らない人」と言われます。怒る人について「なんでいつも怒るんだろ」と不思議に思ったりもすることは確かに多いですが、それなりに「怒り」を覚えながら日々生活を送っています。それでも他人よりは圧倒的に表面的な怒りは少ないので、自分がどんなときに、何をみて、怒るのかを冷静に観察してみました。

お恥ずかしい話、怒りの事例を書くとキリがないほど多く出くわしていることがわかりました。「もう少し前に行けよ。」「そこ邪魔なんだけど。」「うるさいんだけど」「早くしてくんない」などなど、ほんの些細なことですが、小さな怒りが溢れ返っていました。人との接触があればあるだけ怒りも増えていきました。

一般的には怒りはストレスと比例すると言われていますが、人との接触回数が多ければ当然ストレスも多くなります。確かに一理あるなと感じました。でも、これは答えではない。なぜならそこで突然キレる人とそうでない人がいるからです。

なぜ声に出して怒る人がいる一方で、声には出さず怒りを抑えらえる人がいるのか?声を出さず怒りを抑えている人は、そのストレスをどう処理しているのか?この辺を、自分だけでなく、我がジュニアの仏のコーチの言動を観察してみました。

すると、ようやく一つの答えに辿り着くことが出来ました。怒りやすい人は、他人の「言動」を見ている。怒らない人は、他人の「感情」を見ている。たったこれだけの違いなのかなと。そもそも見ているものが違うのです。私自身も怒った場面を思い起こしても、相手の感情など無関係に、単に表面的な言動のみを見ているときに怒りが湧いてきていました。

一方で、他人が怒っているのに、自分は怒りを覚えない時は、対象の感情面をみてあげていました。単純に、みているところが違う。行動や言葉に条件反射してしまうと怒りとなり、言動の裏にある感情面をみていると怒らずにすむ。こんな感じでした。

街中で、ちょっとした怒りを感じるのも、他人だからその感情面までは深く見ていないからなのかなと感じました。それでも、何かしら「忙しいのかな」「イライラしてるのかな」など勝手に感情面を想像して、その場をやり過ごしているように思います。人は感情で動く。だからこそその背後にある感情面をみてあげる努力をすることが怒りを抑える秘訣なのかなと感じます。そうは言っても条件反射してしまうのも多いのですが、仕掛けがわかれば対応も出来るのかなと思います。

ジュニアの練習でもちびっ子に教えていると「怒りたくなる」場面も多いのですが、ちびっこだからとその感情面をみてあげられているから、怒らずに済んでいる。そんな気もします。

先日も、1年生の女の子が、サーブの練習を途中から適当にポイポイポイとやり始めていたので、「ちゃんとやりなさい」と怒られてしまっていました。私は、あーあの子、飽きちゃったんだなとと思って、「飽きちゃったの?」と声をかけると「うん」と応えました。「じゃ、いいよ」とにこっと言ってあげると、なぜかサーブの練習をまたしっかりはじめました。

しっかり感情面をみてあげれば、怒らずとも動くんだなと感じたものです。実際、怒らないといけない場面はそうそう多くはありません。言動の裏にある感情面を今後もしっかりみてあげようと思います。我が屋の反抗期君に対しても。仕掛けはシンプルなわけですからね。自分も成長していきます。

バドミントン旅行が出来る宿